「再貧困女子」鈴木大介著

著者は自身で、どう何を支援すればいいのか判らないので関りから身を引いた、

とのことだが、周囲ができそうな対策としては、児童相談所の職員を増員する、

再分配制度をしっかり作る、などの大きなところからでないと、

手をつけようがないだろう。

今のように中負担で高福祉を求めるところが無理がある。

大前研一氏が資産税について、2,3%を一律に課すのは、海外に資産を

移すなどをした場合、逆に手数料と手間が掛かって損をするので、

有効なのではないかと何かで書いていた。

「草原の輝き」ウォーレン・ベイティ、ナタリー・ウッド

アメリカは恵まれている国だな、という感想。

ウォーレン・ベイティの役はなんやかやあっても牧場経営をして

やっていけるし、大恐慌になっても、格段に安く使える黒人や

メキシコ人が様々な仕事をする。

映画製作当時の見方では、北部ヨーロッパ系ではなく、格下のイタリア人と結婚した、

都会生活ではなく田舎で農業をしている、ということなのだろう。

ナタリー・ウッドの役の両親も、株の儲けを先進的治療につかえて、

無駄にならなかった。

国内で資源も農産物も賄えることが、どれだけ恵まれているか

考えたことがないのだろう。

他の国に占領されたり、支配されたり、侵略されたりすることが

なかった例外的な国というのも大きいのだろう。

 

うちの家系について。

父方の祖父は成育歴の関係からか、自分というものを持てずに、普通の判断力も

持てずに、そのため自分の考えも持てずに、

現場労働者として、上司などに反論できなかったのか、一方的にあれこれさせられていたようで、

アルコールでその苦しさを紛らわせ、暴れたり祖母や子供にあれこれ命令したり

していたようだ。

学歴さえあれば上司などから命令をさせられないと考えたのか、

長男の父にべったり勉強をさせていたようだ。

そのため父も自分というものを持てずに、丸暗記していたようだ。

普通の大学に行けば、周囲と話し合って、自分というものを少しは持てたのかも

しれないが、防衛大学校だったので、一方的に命令されてやらされていたので、

自分というものを持てなかったのだろう。

暗記力と身体的な耐久性があったので、辞めることもできなかったのだろう。

そのため常識的な判断力も意見も何も持てなかったので、時代的に会社には居させてもらっていたが、誰からも相手にされなかったのだろう。

母親は当然そのような異常な一族からは逃げ出したかっただろうが、

時代的に女性が働く場所も限られていて、子ども時代の植民地での特権階級的な

感覚が抜けなかった影響もあり、外で働けなかったので、逃げ出せなかったのだろう。

夫や父方の親族から逃げ出したくとも、自分の収入がなく、

夫は暴れたり騒いだりするので、話し合いも不可能で、さらに

夫の兄弟姉妹は何も言わずに家に上がってくる人たちだったので、

常識的な感覚や思考力も麻痺したのだろう。

祖父が暴れたり喚いたりすることに、反抗したり、病院に入院させたりすることが

出来なかったので、父親の同じようなところには、誰も触れない、気づかない

ということに繋がったのだろう。

職場などの男女平等や、セーフティーネットの大切さは大事なのだとつくづく思う。

 

 

 

「暗黒女子」映画 2017年

他人を上手くコントロールして自分の為に何かをさせよう、

という、高校生の話。

褒めたり身体的距離を詰めたりして相手を動揺させ操ろう、

というのは内の親族にもいる。

本人にとっては二者関係しか見えないので、後から「そんなこと言ってない」

など、平気で言えるのだろう。

時間や第三者というものも未成立に近いのではないだろうか。

自分の生活に確かなものがないため、外国人や皇族や金持ちの世界に

憧れるのだろう。

そういう人は結構成育歴が大変だったりするから、他人がその人に差別とかをすると

それを他の誰かにすることが多いのかもしれない。

おなかの話をしたこと

数年前に、担当の心理士が一年間外国に行くことになったので、その間、
何歳か年上の女性の院生に担当してもらうことになった。
あれこれ話しながら、陸上の練習をする女性の練習着の間から見えるおなかや、
グラドルのおなか、などの話や、豪州の一部では売春が合法らしいなどの性の話など、
様々な話をしていた。
そして最後の方で、性の話をしていて、
相手が「そうじゃないですか」と言った所で「そうなんですか?」と聞いたら、
相手は少し悲鳴を上げて固まって、「性の話ばっかりじゃなくて、
他の話もしましょうよ」と言って、性的なところに関して何か聞いても
「そうなのかもしれませんね」と言って、かわすようになった。
よっぽどショックだったのだと思う。
その頃から、街を歩いていても、きれいな女性が街には多くいることが
気づくようになった。
様々な願望を持つ、欲求を持つというのも、受け手がいることで
引き出されるものなのだろう。

死ぬよりひどい目に遭った

子供の頃から、親と手をつなぐ、何かを教わる、好き嫌いを聞かれる、

と言うのは無かった。

小4の頃、よく解らない理由で、正座させられ顔面を往復ビンタされていた。

学校ではその後問題児になったので、親に日赤病院に連れて行かれた。

そこで心理か何かの人に、担任の教師からの暴言と嘲笑について話したら、

医師がきて、「それが本当かどうか担任に聞いいていいか?」

と聞かれたので、その担任が本当のことを医師に言うわけないので

呆れて黙ったら、その医師はこちらが嘘を付いていると思ったらしく、

親に「この子は来ても無駄だ」といったので、それきりになった。

中学では、勉強ができずに将来ある程度の所に就職できなければ、今より酷いことに

なると思って、無理やり丸暗記して、結構良い点数をとっていたので、

なんのサポートも受けれなかった。

高校は進学校へ通い、したくもないことを丸暗記していたので、不安定になったとき、

医師に診てもらった時も、普通の家庭の受験生と思われ「甘えてるだけ」と言われ、

何もサポートを受けれなかった。自分の願望を持つなどの余裕も無かったので、

行きたくもない、内容も理解できない理系に行かされた。

大学入学後に、家族療法に行ったら、そこの医師が、こちらが大学のランキングが気に入らなくてゴネているだけと思って、親に対して

「子どもとぶつかり合え」といったので、さらに親からひどい目に遭った。

そこで紹介された「○○セラピー」とかに行ったら、こうすれば良くなるなど言われ

それに自分を合わせてやったら、さらに悪化した。

「夜と霧」を読んでも、それについて「衝撃を受けた」という人がいるのに驚いた。

なぜ自分が、ナチの収容所や、シベリア抑留の話を読んでいるかも解らなかった。

世の中はそんなものだと思っていた。

兄の奥さんは、こちらのボロボロさに気づいていたようだが、嫁という立場から、

何もできなかったようだ。

大学を休学していて、偶然、ユング派の深く関われる医師に継続的に時間をとって

もらって面接してもらい、

そこで自分がずっと虐待されていて、刑務所より酷い家に育ったことに気付いた。

その医師が、年齢のため、こちらの地方に来れなくなったので、

京大医学部卒の医師に引き継がれたが、その医師は重い患者さんのことを、

「まともに相手してもしょうがない」という人だったので、治療関係が

成り立たなかった。

その後、深く関われる心理士に診てもらえるようになり良くなって来たが、

今でも家族療法の医師には「人生を返せ」と言いたい。

暴力が正しい家庭もある。

子供の頃から親に何かを教わったことや遊んだことがなく、

親も誰からも相手にされない人だった。

9歳位の頃、母親によく解らない理由で正座をさせられ顔面を往復ビンタされていた。

これはこうするものだ、こうするのが正しい、というのを教わらず、

急に暴力を振るわれたから、外部からの暴力が正しく、自分の感覚など

意味が無い世界にいたのだと思う。

シャーンドル・フェレンツィという人は、子供が虐待された場合、

思考の上で対抗できないことも在るというようなことを書いていた。

ネグレクトで善悪とかいろいろ教わっていないと、

親や外部からの暴力が正しいと思うケースも多いのだと思う。