母親について

母親は、関西の地主の次男か三男で明治時代に大学に行って、

商社のソウル支店長になった人の末娘として産まれて、

生みの母は産んでからすぐに亡くなって、

伯母さんに育てられたそうだ。

ソウルではかなりいい暮らしをしていたそうで、大きな家に住み

家の外に出たら、朝鮮人にさらわれる、とか言われて育ったそうだ。

それで、敗戦で全部失って、カバンひとつで帰ってきて、

関西に戻って、幼稚園があったところを買い取って、

家庭菜園とかで食べ物を作っていたそうだ。

周りと比べると恵まれていただろうが、向こうでの特権階級としての

生活との落差は、大きな衝撃、トラウマを与えただろう。

筆記試験ができたから、地元のトップ校に行ったというのが、

更に、屈折したエリート意識を持たせたのだろう。

その後、大手企業のOLとしてお茶汲みとして少し働いてから、

学歴はあるが理解不能な相手と結婚してしまい、逃げ出したかったが

父親もすでに亡くなっていたので、時代的に逃げ出すところもなく、

更に、結婚相手の理解不能な舅と同居するようになったこともあり、

子供の世話をしない、理解不能なことで子供の顔面を往復ビンタする、

宗教にはまり更に周囲から相手にされない、といことに繋がったのだろう。

子供に問題が出ても、当時は虐待やトラウマやネグレクトについて知っている医師も

心理士もいない、ということで、何もしなかったのだろう。

子供も丸暗記で筆記試験が表面的にはできたので、教員達も何もしなかった。