パニック障害だった頃の話2
街中の地下鉄の駅で電車に乗っていられなくなり、
降りて改札を出て喫茶店で休憩。
小銭しかもっていなかったので、電話で母親に家にお金を置いておくか、
持ってくるかを頼んだ。
その駅まで母親は来たのだが、
とりあえず中に入れてしまえば乗るだろうと考えたのか、
改札越しに手招きしたので横の柵の所で話すと、気にせずに電車に乗るようにと
言ってきた。
なんとか外に出てもらって、タクシーに乗ると、すかさず運転手さんに
数百円運賃が安くなるコースを指示した。
常にいつも第一に、お金をけちる事を最初に考える人だった。
パニック障害だった頃の話
実家から何駅かのところで、電車に乗っていられずに降りて、
電話で母親にタクシーの手配を頼んで、30分位して電話をしたら、
週末で空きのタクシーが無いと言われたとのことで、
2月の夜を、3時間くらいかけて徒歩で帰宅した。
歩いたことも無く、道も知らないところだったので、
結構大変だった。
何か月かしてから母親にそのことを言うと
「いい運動になってよかったじゃない」とかるく言われた。
自分の子供に何の責任感も関心も持っていないのだと判り、
ゾーとした。
THIS IS JAPAN――英国保育士が見た日本 :ブレイディみかこ著
歴史的にみると、近代化に伴い、賃労働として労働を提供して、
対価を受け取る、というのが広まったのだが、ヨーロッパのように
宗教や思想の裏付けがなく、植民地にされないため、豊かな欧米に追いつくために、
労働形態として取り入れ、ある程度までうまくいって追いついたために、
経済が停滞しても、それ以外を思いつかず、ひたすらそれまでのやり方を
強めるのみで、社会の在り方、働き方を再構築することを考えられないので、
今の在り方に異を唱える人を、周囲がバッシングするのだろう。
何らかの賃労働をしている人は、それで何とかしようと考えるので、
それと違うことを言われると、これまでの自分の努力について
考え直さなければいけないので、反射的に反発して、それまでのやり方以外は
受け入れられないのだろう。
中韓のパソコンやスマホの重要なパーツや製造装置は日本製、といっても
向こうにしても、高い価格で輸入しているものは自分たちで作ろうとするだろうから、
今の状態が長く続くとは、考えにくい。
中動態の世界 意志と責任の考古学 (シリーズ ケアをひらく) :國分功一郎著
なにかと「本人が努力したから」「努力しなかったから」
あるいは「本人が決めたから」などの表現が使われるが、
何かをしたり決めたりする自己感覚、主体というのは、
そこまでの生育を支える周囲のサポートがあっての事だろう。
解りやすい例を挙げると、日本でそれなりに恵まれた家庭で育てられれば、
自分から学校の勉強をしたり、習い事に打ち込んだりということになるが、
アフリカでゲリラにさらわれた子供は、脅されて自らの手で
自分の家族などを射殺させられたりして、むやみに発砲する少年兵となる。
最近は日本でも、「地方のマイルドヤンキーは勉強しようとしない」等の
表現があるが、そもそも養育者が子供を世話をする余裕がない、
などであれば、何かを決める、何かに取り組むという主体性も育たないだろう。
「地方のマイルドヤンキー」のように周囲と集まって遊んで騒ぐほどの
社会性を持てるならばともかく、一人でゲームやネットをしている子供のほうが、
周囲に迷惑をかけないが、主体や自己感覚が未発達で、その後が困難だろう。
「草原の輝き」ウォーレン・ベイティ、ナタリー・ウッド
アメリカは恵まれている国だな、という感想。
ウォーレン・ベイティの役はなんやかやあっても牧場経営をして
やっていけるし、大恐慌になっても、格段に安く使える黒人や
メキシコ人が様々な仕事をする。
映画製作当時の見方では、北部ヨーロッパ系ではなく、格下のイタリア人と結婚した、
都会生活ではなく田舎で農業をしている、ということなのだろう。
ナタリー・ウッドの役の両親も、株の儲けを先進的治療につかえて、
無駄にならなかった。
国内で資源も農産物も賄えることが、どれだけ恵まれているか
考えたことがないのだろう。
他の国に占領されたり、支配されたり、侵略されたりすることが
なかった例外的な国というのも大きいのだろう。