THIS IS JAPAN――英国保育士が見た日本 :ブレイディみかこ著

歴史的にみると、近代化に伴い、賃労働として労働を提供して、

対価を受け取る、というのが広まったのだが、ヨーロッパのように

宗教や思想の裏付けがなく、植民地にされないため、豊かな欧米に追いつくために、

労働形態として取り入れ、ある程度までうまくいって追いついたために、

経済が停滞しても、それ以外を思いつかず、ひたすらそれまでのやり方を

強めるのみで、社会の在り方、働き方を再構築することを考えられないので、

今の在り方に異を唱える人を、周囲がバッシングするのだろう。

何らかの賃労働をしている人は、それで何とかしようと考えるので、

それと違うことを言われると、これまでの自分の努力について

考え直さなければいけないので、反射的に反発して、それまでのやり方以外は

受け入れられないのだろう。

中韓のパソコンやスマホの重要なパーツや製造装置は日本製、といっても

向こうにしても、高い価格で輸入しているものは自分たちで作ろうとするだろうから、

今の状態が長く続くとは、考えにくい。

「THIS IS JAPAN――英国保育士が見た日本」 :ブレイディみかこ著

中動態の世界 意志と責任の考古学 (シリーズ ケアをひらく) :國分功一郎著

なにかと「本人が努力したから」「努力しなかったから」

あるいは「本人が決めたから」などの表現が使われるが、

何かをしたり決めたりする自己感覚、主体というのは、

そこまでの生育を支える周囲のサポートがあっての事だろう。

解りやすい例を挙げると、日本でそれなりに恵まれた家庭で育てられれば、

自分から学校の勉強をしたり、習い事に打ち込んだりということになるが、

アフリカでゲリラにさらわれた子供は、脅されて自らの手で

自分の家族などを射殺させられたりして、むやみに発砲する少年兵となる。

最近は日本でも、「地方のマイルドヤンキーは勉強しようとしない」等の

表現があるが、そもそも養育者が子供を世話をする余裕がない、

などであれば、何かを決める、何かに取り組むという主体性も育たないだろう。

「地方のマイルドヤンキー」のように周囲と集まって遊んで騒ぐほどの

社会性を持てるならばともかく、一人でゲームやネットをしている子供のほうが、

周囲に迷惑をかけないが、主体や自己感覚が未発達で、その後が困難だろう。

中動態の世界 意志と責任の考古学 (シリーズ ケアをひらく) :國分功一郎著

「再貧困女子」鈴木大介著

著者は自身で、どう何を支援すればいいのか判らないので関りから身を引いた、

とのことだが、周囲ができそうな対策としては、児童相談所の職員を増員する、

再分配制度をしっかり作る、などの大きなところからでないと、

手をつけようがないだろう。

今のように中負担で高福祉を求めるところが無理がある。

大前研一氏が資産税について、2,3%を一律に課すのは、海外に資産を

移すなどをした場合、逆に手数料と手間が掛かって損をするので、

有効なのではないかと何かで書いていた。

「草原の輝き」ウォーレン・ベイティ、ナタリー・ウッド

アメリカは恵まれている国だな、という感想。

ウォーレン・ベイティの役はなんやかやあっても牧場経営をして

やっていけるし、大恐慌になっても、格段に安く使える黒人や

メキシコ人が様々な仕事をする。

映画製作当時の見方では、北部ヨーロッパ系ではなく、格下のイタリア人と結婚した、

都会生活ではなく田舎で農業をしている、ということなのだろう。

ナタリー・ウッドの役の両親も、株の儲けを先進的治療につかえて、

無駄にならなかった。

国内で資源も農産物も賄えることが、どれだけ恵まれているか

考えたことがないのだろう。

他の国に占領されたり、支配されたり、侵略されたりすることが

なかった例外的な国というのも大きいのだろう。

 

うちの家系について。

父方の祖父は成育歴の関係からか、自分というものを持てずに、普通の判断力も

持てずに、そのため自分の考えも持てずに、

現場労働者として、上司などに反論できなかったのか、一方的にあれこれさせられていたようで、

アルコールでその苦しさを紛らわせ、暴れたり祖母や子供にあれこれ命令したり

していたようだ。

学歴さえあれば上司などから命令をさせられないと考えたのか、

長男の父にべったり勉強をさせていたようだ。

そのため父も自分というものを持てずに、丸暗記していたようだ。

普通の大学に行けば、周囲と話し合って、自分というものを少しは持てたのかも

しれないが、防衛大学校だったので、一方的に命令されてやらされていたので、

自分というものを持てなかったのだろう。

暗記力と身体的な耐久性があったので、辞めることもできなかったのだろう。

そのため常識的な判断力も意見も何も持てなかったので、時代的に会社には居させてもらっていたが、誰からも相手にされなかったのだろう。

母親は当然そのような異常な一族からは逃げ出したかっただろうが、

時代的に女性が働く場所も限られていて、子ども時代の植民地での特権階級的な

感覚が抜けなかった影響もあり、外で働けなかったので、逃げ出せなかったのだろう。

夫や父方の親族から逃げ出したくとも、自分の収入がなく、

夫は暴れたり騒いだりするので、話し合いも不可能で、さらに

夫の兄弟姉妹は何も言わずに家に上がってくる人たちだったので、

常識的な感覚や思考力も麻痺したのだろう。

祖父が暴れたり喚いたりすることに、反抗したり、病院に入院させたりすることが

出来なかったので、父親の同じようなところには、誰も触れない、気づかない

ということに繋がったのだろう。

職場などの男女平等や、セーフティーネットの大切さは大事なのだとつくづく思う。

 

 

 

「暗黒女子」映画 2017年

他人を上手くコントロールして自分の為に何かをさせよう、

という、高校生の話。

褒めたり身体的距離を詰めたりして相手を動揺させ操ろう、

というのは内の親族にもいる。

本人にとっては二者関係しか見えないので、後から「そんなこと言ってない」

など、平気で言えるのだろう。

時間や第三者というものも未成立に近いのではないだろうか。

自分の生活に確かなものがないため、外国人や皇族や金持ちの世界に

憧れるのだろう。

そういう人は結構成育歴が大変だったりするから、他人がその人に差別とかをすると

それを他の誰かにすることが多いのかもしれない。

おなかの話をしたこと

数年前に、担当の心理士が一年間外国に行くことになったので、その間、
何歳か年上の女性の院生に担当してもらうことになった。
あれこれ話しながら、陸上の練習をする女性の練習着の間から見えるおなかや、
グラドルのおなか、などの話や、豪州の一部では売春が合法らしいなどの性の話など、
様々な話をしていた。
そして最後の方で、性の話をしていて、
相手が「そうじゃないですか」と言った所で「そうなんですか?」と聞いたら、
相手は少し悲鳴を上げて固まって、「性の話ばっかりじゃなくて、
他の話もしましょうよ」と言って、性的なところに関して何か聞いても
「そうなのかもしれませんね」と言って、かわすようになった。
よっぽどショックだったのだと思う。
その頃から、街を歩いていても、きれいな女性が街には多くいることが
気づくようになった。
様々な願望を持つ、欲求を持つというのも、受け手がいることで
引き出されるものなのだろう。